『ウルトラマンの「正義」とは何か』誤謬に関するお詫びと経緯について
拙著『ウルトラマンの「正義」とは何か』に大きな誤りがあり、回収することになりました。本書をお買い求めいただいた方、ご購入を検討してくださった方に心からのお詫びを申し上げます。
回収の理由はすでに青弓社のウェブサイトに記されているとおりで、拙著20―21ページと65ページに記載していた内容に大きな誤謬がありました。そのことについて切通理作氏や読者のみなさまからご指摘をたまわり、青弓社と相談してこのたびの結論を出しました。
なぜ私がこのたびの過失を犯したのかについては、無神経な不注意を積み重ねてしまった結果と申し上げざるをえません。重ねてお詫びを申し上げます。誤謬の説明責任を果たすために、発表してきたものを精査し、いつ取り違えをしたのかを確認しました。長文になりますが、以下に経緯をご説明いたします。
まず、博士論文に至る大枠の経緯を時系列でご説明いたします。
2013年:「仮面ライダー」に関する論文を執筆(これは17年3月に公刊)。
2014年1月―12月:「ウルトラマン」に関する研究を研究会などで報告。
2015年3月:研究ノート「TBS闘争の中の『ウルトラマン』『ウルトラセブン』」を公刊。
2016年9月:論文「『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のポリティクス」を公刊。
→この2本の論考で大江健三郎氏と切通理作氏の議論を取り違える事実誤認をしていました。
2018年2月:論文「1970年代初頭の人々の正義に関する思考様式――第二期ウルトラシリーズの制作過程分析を中心に」を公刊。
2018年9月:論文「『帰ってきたウルトラマン』制作過程から読み解く1970年代の変容の兆し」を公刊。
→この2本の論考では、扱った課題との関係から大江氏と切通氏の議論に紙幅を割いておらず、事実誤認はありませんでした。
2019年3月:博士論文「特撮ヒーロー番組の制作過程に見る思考様式の変遷――戦後社会を規定する人びとの『記憶』」を提出。
2021年5月:博士論文をもとに書籍『ウルトラマンの「正義」とは何か』を公刊。
→博士論文の先行研究整理で、事実誤認がある「『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のポリティクス」を土台にし、また確認を怠ったため、誤りを含んだまま公刊してしまいました。
私は、大学院後期課程進学後、最初の論文をなかなか書き上げることができず、複数の論考の構想を同時並行的に練り進めていました。私が「ウルトラマン」や「仮面ライダー」に関する考察を初めて対外的な学会や研究会で披露したのは、2011年5月の日本風俗史学会の卒業論文・修士論文報告会、12月のコンテンツ文化史学会大会での個別報告になります。当時のレジュメや要旨をあらためて確認したところ、先行研究整理では大江氏と切通氏の論考を混同していませんでした。各報告の直前に提出した修士論文のテーマも含め、当時の私の研究の中心が「仮面ライダー」にあったこともあり、上記の報告をもとに執筆した「『仮面ライダー』シリーズから読み解く1970年代初頭のヒーローの「正義」と戦争の記憶」(『明治大学人文科学研究所紀要』第81号、明治大学人文科学研究所、2017年3月)でも、先行研究整理のプロセスでは大江氏と切通氏の議論を混同していませんでした。この論文が最終的に公刊されたのは17年ですが、諸事情により13年には全文がほぼ仕上がっていて、後述する「ウルトラマン」関係の論考を練り上げるかなり前の段階で私は手を離していました。
一方で、修士論文の内容を底本にもたず、一から研究をスタートした「ウルトラマン」に関する議論は執筆に時間がかかり、2014年1月の東京歴史科学研究会例会報告、同年12月の駿台史学会大会報告、翌15年3月公刊の「TBS闘争の中の『ウルトラマン』『ウルトラセブン』」(『文学部・文学研究科学術研究論集』第5号、明治大学文学部・文学研究科、2015年3月)と、研究会での発表や論文の下敷きになる文章の執筆を積み重ねました。その後、15年9月に鈴木清氏のお引き合わせで上原正三氏、田口成光氏への取材をすることができ、「『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のポリティクス」(『駿台史学』第158号、駿台史学会、2016年9月)として1本の論文にまとめることができました。
この間のプロセスを確認しましたが、2014年1月の東京歴史科学研究会例会での報告レジュメでは、切通氏と大江氏の論考を取り違えていませんでした。しかし、その後の駿台史学会の大会報告やその前後の研究会などでは、報告レジュメとして発表はしていないものの、切通氏と大江氏の論考を取り違える誤謬につながるコメントやメモ書きを私自身がしていた箇所がありました。
そして、直後の2015年3月の「TBS闘争の中の『ウルトラマン』『ウルトラセブン』」のなかで完全に両氏の議論を取り違えた記載をしてしまいました。同論文の内容を直接引き受けた16年9月の「『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のポリティクス」でもこの記載内容をそのまま引き継いでいました。つまり、14年後半頃の研究会などでいただいた意見などを精査せず、自身の研究ノートに無神経かつ不注意のうちに書き込んで上書きすることを繰り返していました。また、その後に大江氏や切通氏の論考を再確認するという作業を怠ったために、事実に反する認識のまま、それを両論文の内容に反映してしまいました。
私は「『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のポリティクス」を執筆したあと、2018年に「1970年代初頭の人々の正義に関する思考様式――第二期ウルトラシリーズの制作過程分析を中心に」(『文学研究論集』第48号、明治大学大学院、2018年2月)、「『帰ってきたウルトラマン』制作過程から読み解く1970年代の変容の兆し」(『文学研究論集』第49号、明治大学大学院、2018年9月)と「ウルトラ」シリーズに関する論考を2本執筆しました。これらの論文では、大江氏と切通氏の議論に紙幅を割いておらず、両氏の議論を取り違える誤謬を犯してはいませんでした。
ただ、この時点で、「『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のポリティクス」に関する内容はすでに執筆し終えたものとして私のなかで位置づけており、それよりあとの論考を執筆していくなかで、最初に犯した間違いに気づき再確認することに思い至りませんでした。
そして、各論考を博士論文としてまとめ上げる際、個別論文に関わる先行研究整理について、誤りがある「『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のポリティクス」での内容を土台にして整理してしまった結果、研究史整理のなかで誤謬が再形成されてしまいました。
もちろん、各論文や博士論文の執筆に際して、大江氏や切通氏の論考を軽んじ、改竄・捏造しようとするような意図は一切ございませんでした。しかし、私の再三の無神経と不注意が両氏の論考をめぐる事実に基づかない記載につながったことは揺るがない事実であり、そもそも異なる論者の論考を混同してしまうこと自体、研究者としてあるまじき怠惰です。博士論文、書籍出版と、執筆の機会を改めるたびに原文献に当たって丁寧に再確認を繰り返していればこれらの誤謬は防げたはずであり、それら当然の作業を怠ったことについて、深く恥じ入り猛省しております。
このたびの件について、私自身が長く気づかずに放置していた問題点に気づき、指摘をくださった切通理作氏をはじめとする多くの方々には、感謝を申し上げるとともに、この事実誤認で大変なご迷惑をおかけしたことをあらためて深くお詫び申し上げます。また、各論文から書籍執筆にあたり多くのお力添えをたまわった関係各位におかれましても、そのご厚恩に応えられないばかりか、泥を塗る失態を犯してしまったことを心から謝罪いたします。
拙著は現在、回収という措置を進めており、このたびの誤謬のもとになった各論文や博士論文についても大学が対応を検討しています。ですが、花岡敬太郎という一人の研究者が、自らの不注意で大きな間違いを犯し、それを論文や書籍として公に出してしまったという事実は決して覆りません。ご迷惑をおかけしたみなさま、誠に申し訳ございませんでした。研究上の過失で失った信頼は、あらためて自分自身と課題に真摯に向き合うことを通して積み重ねていくしかないと考えております。私のなかでこのたびの過ちを風化させることなく、確認作業を徹底し、二度とこのような誤りを犯さないよう努め、1人の人文科学研究者として研鑽を重ねてまいります。今後も厳しいご指導・ご鞭撻をたまわりますよう伏してお願い申し上げます。
2021年6月30日
花岡敬太郎